Back Insects  ビートルズとの出会い
 物事には、必ず『始まり』というものがあったはず..

..ということで(?)、バックインセクツのメンバーの、ビートルズとの出会いから最近思うことまで、順次ご紹介していきます!

「私とビートルズとの出会い」
「だから私はジョンが好き」
「アーティストの中に見るビートルズ」
「ビートルズと松田聖子の共通点」
「ビートルズをコピーするということ」
「ライブについて」
「オールディズとBEATLES」
「ジミヘン・ジャニス・ビートルズ」
「ビートルズのルーツ」


 「私とビートルズの出会い」 (2000/2/14 掲載)
H.S(→メンバー紹介参照)の場合

 ビートルズとの出会いは、おそらく大抵の人と同じように、それをビートルズであるとは自覚なしに、耳にしていたのでしょう。例えば、幼稚園のときに、お遊戯会でやったオブラデイ・オブラダのように。(しかし、よく考えてみれば、俺の幼稚園はクリスチャン系の幼稚園だったのだが、ビートルズのことをどう考えていたのだろう?ジョンのキリスト発言やジョンとヨーコのバラードを聞いてみてくれ)小学校の時だって、もちろん、今のように音楽の教科書にイエスタデイがのっていたわけではないが、巷にはよくビートルズが流れていたような気がする。

 ビートルズの曲で最初にいいな、と思ったのは、NHKの確か、「20歳の父」という銀河テレビ小説の主題歌になっていたイエスタデイだった。やはり、素人というか、日本人なんだろうなと思うのですが。ギターのストロークから入って、弦楽4重奏が聞こえてくるところで鳥肌がたったのは小学5年か6年の頃だったように思う。しかし、その曲が、ビートルズであることは、知らなかった。

 小学校6年のころは、ベイシテイローラーズが全盛のころで、自分のお金で初めて買ったレコードがそのベスト盤だったっけ。

 随分と前置きが長くなってしまったが、ビートルズをビートルズとして意識したのは、1979年のポールの来日公演中止のときだった。例の大麻不法所持で、国外退去になったやつ。中3だった俺は、当時、青少年の注目の番組だった。11PMを親に隠れてこっそり見ていた。その日の番組の内容は、全く俺の期待を裏切るものだった。なんと、ポールの公演中止のネタだった。ポールの拘留されている拘置所の周辺に、ファンが集まり、ビートルズを合唱していた。ポールが拘置所から羽田まで移送される車を11PMの車が追うのだが、カメラに向かって、ポールはおどけて見せ、Vサインを送る始末。全く、この馬鹿おやじは何なんだと思ったのであるが、その後、公演の関係者たちが、インタビユーを受けていたのだが、大の大人が、号泣しているのである。「いったいどういうことなんだ。あいつら、いったい何者なんだ」という疑問が、自分の中に起こったのである。それならば、とりあえず、ビートルズなるものを聴いてみようと思い、さっそくレコード店に行き、ビートルズのレコードを買った。それが、アビーロードだった。(最近のレコードコレクターの中で、和久井君が、偉そうに、このアルバムの意義について書いているが、これについては後ほどコメントしよう)レコードをターンテーブルに乗せ、ボリュームいっぱいにし、ヘッドホーンをして聴いた。よく、体に電流が走ったなどどとくさいことを言うやつがいるが、不覚にも、まさにそんな陳腐な言葉でしか言い表せない経験をしてしまった。

 この衝撃はいったい何だったのだろうか。全く、あれから20年の月日が流れているというのに、その経験が、今も自分を捉えて離さないのである。トワエモアや小坂明子に感動し、ばんばんのイチゴ白書をもう一度を歌っていた俺は、その日からビートルズ一色の生活へと陥れられていったのであった。ああ、なんたる幸せ・・・。

(次回、「アルバムとの出会い」へと続く?)


 「だから私はジョンが好き」 (2000/5/8 掲載)
引き続き、H.Sの場合

 ビートルズのメンバーといえば、周知のことですが、一応、ジョン・レノン(リズム・ギター)、ポール・マッカートニー(ベース)、ジョージ・ハリスン(リード・ギター)、リンゴ・スター(ドラムス)の4人。この4人が奇跡的にであって、ビートルズが結成されたわけだが、よく、4人の中で、誰が一番好きかということが撮り沙汰される。ナンセンスなことではあるが、それでも、それぞれ、だれのそれのファンだと言ってしまう。そう、ビートルズファンなのだから、4人とも好きだ、ということが、大前提だということを忘れてはいけない。それを忘れてしまうと、とんでもない議論になってしまうからだ。学生のころ、よくジョンとポールはどちらがすごいのか?ということを友人と話したものだ。決まって、どちらかの肩をもちながら、どちらかを否定する、というような議論になってしまう。このことが、おかしなことだと気づくのに、結構時間がかかった。おそらく、これを読んでいる人の中にも同じような経験がある人がいるのではないかと思う。この議論は例えて言うならば、「箸とナイフ・フォークはどちらが優れているか」や、「ゴッホと歌麿はどっちが素晴らしいか」といった類の議論なのである。とはいえ、いろいろと議論するうちに、その本質や、互いの気が付かなかったものを発見できることがある。まあ、全く無意味というわけではないだろう。

 わたしが、最初に買った、ビートルズのレコードは「私とビートルズとの出会い」のところで書いたように、アビーロードであった。アビーロードを聞いて、すごいと思ったのは、ジョージだった。このアルバムはジョージの評価を決定付けた「サムシング」や「ヒア・カムズ・ザ・サン」が入っている。これを聞いて、一発で、ジョージにやられたという感じだった。だから、私の最初のフェイバリットビートルはジョージだったのだ。ここら辺が、リアルタイムで、ビートルズを聞いた世代との違いだろう。とにかく、ジョージを追った。次に買ったアルバムはホワイト・アルバムだったが、「ロング・ロング・ロング」を聞いて、「きれいな曲だけど、最後がこえー」と思った。その頃は、まだ、「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウイープス」の良さは分からなかった。次に買ったアルバムは、「レット・イット・ビー」だったが、ここでも、「アイ・ミー・マイン」や「フォー・ユー・ブルー」はいまいちインパクトがなかった。(ジョージファンのみなさん、ごめんなさい)それでも、ジョージが好きだと言っていた。

 3番目に買ったアルバムが決定的だった。それは、「フォー・セール」だった。その時の感覚はいまだに忘れられない。ヘッドフォンから私の脳細胞に響きわたった、一曲目。そう、「ノーリプライ」だ。あの、ジョンのシャウトを聞いたとき、身体の震えを抑えることができなかった。楽曲自体もすばらしいが、何にもまして、ジョンの歌声が自分の心を捉えて離さなかった。その瞬間から、私のフェイバリットビートルはジョンだった。

 ジョンのファンは、よく、ジョンの曲のすばらしさだけでなく、その生き様に惹かれる。そして、彼の生き様が、確かに彼の曲の中に込められる。しかし、そのあまりに、ジョンへの思いは、一種の信仰に近いものになってしまうことがあるようだ。実際、彼を撃ったマーク。チャップマンは彼の熱狂的なファンであったということだし、そのカリスマ性が、悲劇をうんだとも言える。信仰とは何かというと、その対象が、全て善になってしまうということだと考えている。つまり、そこには、全知全能の神が存在するわけだ。しかし、ジョンはおそらく、自分がそういった対象になることを、一番嫌悪していたのではないだろうか。映画「イマジン」の1シーンでジョンを訪ねてきた若者に「僕は僕で、君はきみだ」と諭し、そして、家に招き、ともに食事をするところがあるのだが、あそこが一番好きなところだ。ジョンの人間性を感じるし、何より、その優しさがたまらなく心に沁みる。ビートルズのイベントがあって、音楽評論家の星加ルミ子さんが、仙台に来たことがあった。その時ジョンが、ハウスハズバンドをしていた時に会った。と言っていたので、その時、ジョンは曲が書けなかったといううわさがあったので、ジョンの様子はどうでしたか?と質問したら、いきなり彼女が怒り出して、「ジョンは天才だから、曲が書けないなんてことはありえません」と答えたので、大変、気分が悪くなり、会場を後にしたのを覚えている。

 ジョンとポール、どちらが凄いんだ。この議論の中で、友人と考えたことは、ポールはとにかく最初から凄かった。曲作りも凄い、歌もうまい。楽器の腕も一番。ジョンはというと、ジョンはとにかく変わっていった。良くも悪くも、デビューしたころと解散のころでは、外見も、歌も曲も、まるで同じ人物とは思えないほど変わっていった。その辺が凄いのではないか、ということであった。  

 ジョンは感覚的な男であったから、その発言を聞いていると、時々、全く一貫性のないことに愕然とすることがある。また、その行動や、生き方は決してスマートなものではないし、ある意味で非常にカッコ悪い部分がある。そう、人間的な弱さを持った、実に人間的な奴、それがジョンなのだと思う。織田信長と豊臣秀吉と徳川家康の3人のうち、誰が好きかという質問がよくあるが、日本の男性の多くは、信長を挙げるそうだ。しかし、私は秀吉が好きだ。特に、晩年、秀吉は人間としての弱さを露呈し、あまり、潔い最期を遂げていない。そこで、評価を下げているところがあるが、私はそんな弱さを持った秀吉が好きなのである。これって、ジョンを好きな理由に通じるかな?

 そんな訳で、私はジョンが好きなのです。・・・もちろん他の3人も好きですよ。


 「アーティストの中に見るビートルズ」 (2000/11/12 掲載)
引き続き、H.Sの場合

 ミュージック・タイガーなる番組を見ました。桑田圭祐とユースケ・サンタマリアの番組なのですが、オープニングの曲を桑田が作詞・作曲・アレンジ・演奏と全てやっていました。全ての楽器演奏が素晴らしいわけではないですが、さすがだなと感心しました。とにかく楽曲のセンスが抜群ですよね。こんな曲、日本人じゃあなかなか書けないよなと思います。フレーズの中にちょっとドアーズっぽいところがあって、60年代のにおいを感じてしまいました。それにしても、全ての楽器を一人でやる姿を見て、ホワイトアルバム以降のポールを彷彿とさせてしまいました。それから、サザンの新曲のビデオクリップが流れていました。確か、「青い空、みどり」という曲かな。そのプロモが完全にあの「FREE AS A BIRD」のパクりでした。オープニングの鳥が飛んでいるところ、モノクロからセピアへの映像、そして建物までが、全て意識されて作られたように感じたのですがどうでしょうか。

 サザンがデビューしたころは確か我々が中学生の頃だったと思うのですが、そのころの中3コースかなんかの記事で桑田圭祐が「ビートルズはすごく好きで、サザンもこれからビートルズのようなアルバム作りをしていきたい」といったようなことが書いてあったのを憶えています。(そう言えば、「私の好きなビートルズソング」のところで、竹内まりあが「I’ll Follow The Sun」をあげていた)その頃はまだ、ビートルズなるものを意識して聴いていなかったのですが、意識しないでも、入りこんでいたというのが、ビートルズの凄いところですよね。もちろん、サザンのサウンドの中に生きているビートルズテイストを多くの人が感じ取っているでしょう。

 最近のミュージシャンは、アーティストというよりは、エコノミスティックな人が多いような気がしますが、桑田圭祐は間違いなくアーティストだなと感じました。ジョンが、こんなことを言っていました。ビオラかコントラバスを前に、「アーティストは例え弾けなくても、この楽器から音楽を引き出すことが出来るんだ」と。センスとかニュアンスというものは微妙なものなのですが、楽器が上手いということが、即、アーティスティックな才能と結びつくものではないような気がするのです。そこにある創造性が大切なのだと思うのですがいかがでしょうか。

 楽器の上手く弾けない男の言い訳でした。


 「ビートルズと松田聖子の共通点」 (2000/12/9 掲載)
引き続き、H.Sの場合

 男が「松田聖子が好きだ」などと言うと、白い目で見られそうだが、とにかく良い。松田聖子が良いのではなく、松田聖子の歌が良いのである。彼女は日本を代表する女性ボーカリストであると思う。

 彼女の歌のファンになったのは、高校2年生の頃だったろか。わがBACK INSECTSのM・A君と学校の模擬テストをサボって、古川までコンサートを見に行ったことを憶えている。(ちなみに、自由席だったのだけれど、隣に座った女の子たちと仲良くなるチャンスを潰してしまって、がっかりして帰ったことも鮮明に憶えていたりして)金曜日の夜はラジオの「夢で逢えたら」を毎週チェックしていた。(エンディングテーマは、ライブの最後のナンバーと同じYOU’RE ONLY MY LOVEだった)

 その頃は、まさにアイドル全盛の時代だったが、松田聖子は別格だった。今でも、多くの人は松田聖子のヒット曲を何曲も知っているはずだし、口ずさめるのではないだろうか。それぞれが今聞いても「良い曲だなあ」と感じるのだがどうだろうか。それは作曲する人が素晴らしいのだと言うかもしれないが、果たしてそうだろうか。もし、松田聖子の曲を河合奈保子が歌ったらヒットしただろうか。私にはどうもそうは思えないのである。松田聖子だから、良い曲が貰えたのだ。それだけ、彼女はボーカリストとしての才能があるのだと思う。

 高校のころだから、毎日それこそ毎日、ビートルズを聴いていたのだが、両者には共通性がある。まず、ヒット曲の多さである。これだけ、多くの人が口ずさめる曲があるのは珍しい。さらに、シングルのヒット曲だけでなく、アルバムに入っている曲が素晴らしいのである。他のアイドルのアルバムと比較して見ると良い。シングル以外は聴けたものではない。しかし、松田聖子のアルバムはどの曲も素晴らしいのである。これは「風立ちぬ」のアルバム辺りからだが、(風立ちぬはあまり好きではない)アルバムが妙にトータル性を感じてしまう。こんなアイドルはほかにはいない。

 ビートルズと松田聖子。実は共通点があるのですよ。皆さんどう思われますか?


 「ビートルズをコピーするということ」 (2001/1/7 掲載)
引き続き、H.Sの場合

 ここのところ、2回ほどFMでシャ乱Qのつんくが出ていた。12月にニュー・アルバムを出したということだが、タイトルが 「ア・ハード・デイズ・ナイト〜つんくが完コピやっちゃいました やあ、やあ、やあ」 というものだそうだ。これを聞いただけで、まさにビートルズのコピーということが分かるが、曲を聞いて何とも言えない感じだった。

 メジャーなミュージシャンがビートルズをコピーするというのはどうも違和感を覚えてしまうのは何故なのだろうか。不思議だよね。それに、一般的に、プロがやると、独自のアレンジになってしまうことがほとんどで、正直がっかりしてしまうことが多い。しかし、今回のつんくのアルバムは愚直なまでに完全コピーと言う代物だ。本人もコメントしていたが、とにかく、同じ音に同じ楽器にこだわったということだった。確かに、サウンド的にはまさに、ビートルズの音に近いし、その意味で好感が持てる。以前にも、チューリップや桑田圭祐がカバーアルバムを出しているが、ここまでコピーにこだわっているメジャーのミュージシャンのアルバムはそうそうないように思う。彼のコメントの中に、バンドを始めた頃、ビートルズをコピーするのだけれど、どうしても同じ音がでないということに「何故なんだ」という気持ちでさらにのめりこんで行ったということだった。つまり、彼はビートルズの音を追うことで、音を突き詰めて行く感性を磨いて行ったということなのだと思う。音楽的な成功を収めていく中で、原点に戻ったとき、やはり、ビートルズの音にこだわったと言うことなのだと思う。

 かなり昔の誰かの論評の中に、ビートルズの曲のカバーの在り方について載っていた。ルーディーズクラブだったかな。「ビートルズの曲をカバーする際に、多くのミュージシャンは原曲を超えていない。そして、ビートルズの曲を自由にアレンジできる正当なものはビートルズだった彼らに認められている権利である。その権利者であるポールはワールドツアーでほぼ原曲通りのアレンジでビートルズを演奏した。もはや、ビートルズのメンバーでさえ、ビートルズの曲に手を加えることを許さないのだ」といったようなものだったと思う。

 そして、つんくは忠実にビートルズの音を再現して見せた。それはそれで、聞いていて悪くないなと感じる。しかし、何か足らない。結局、演奏が同じでもやはり、ビートルズではないのだ。ジョンとポールが歌い、ジョージがはもる。そこにビートルズがあるのである。あの、「FREE AS A BIRD」を聞いたときの感動。それは「楽器の音」ではなく、紛れもない彼らの「歌声」だったのだ。その意味でボーカルグループとしてのビートルズの凄さをメジャーなミュージシャンでも超えることが出来ないことを証明しているといっても良いだろう。こんなことを考えているとわれわれコピーバンドは絶望的な気分にもなるのだが。

 ところで、ビートルズは初期から中期くらいまで、結構カバーをやっている。よく、ビートルズは「演奏力がない」などといわれるが、当時のバンドの中では図抜けた存在であったことは、カバーの曲を聞くと分かる。「ツイスト&シャウト」を原曲と比べて見れば一目瞭然である。「プリーズ・ミスター・ポストマン」や「ロール・オーバー・ベートーベン」どう見ても、ビートルズのアレンジは見事としか言いようがないのである。(カバーではないが、「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」をストーンズと比べても格が違う)こういった本質を見るとき彼らのオリジナリティがどれほど凄いものであったか、ということを感じるだけでなく、彼らの姿勢を強く感じるのである。われわれコピーバンドは限りなく、ビートルズの音に近づきたいと願う。

 しかし、ビートルズの本質は全く違うものなのである。だから、コピーをするとき、時々自分が考えることは、「今、ビートルズがいたとしたら、どんな音を出すかな」ということである。もちろんビートルズの曲はどれも素晴らしく、完成されたものであるが、そこにあるのは「その時点でのベスト」ということである。2000年に彼らが演奏すればやはり違った形になるのかもしれない。だから、コピーをする際は、原曲の素晴らしさを失うことなしに、彼らの意図を理解した音を出す必要があるのではないかと思う。それが独り善がりのものであってはならないが・・・。

 いずれにしても、多くのミュージシャンがビートルズを意識しながら活動しているということに妙な嬉しさを感じてしまう。レベルは違うけれど、原点にあるものが同じなのかななどどと図々しく思ってしまう。そう、メジャーなミュージシャンたちも、ビートルズやストーンズを演奏するときの目は本当にロック少年そのもになるっていうこと。

 それが、彼らのすごさだよね。

<DATA>
 「A HARD DAY'S NIGHT つんくが完コピーやっちゃったヤァ!ヤァ!ヤァ! Vol.1」 2000/12/6 発売
 → zetima Online / TSUNKU の Discography

A Hard Day's Night / Help! / I Saw Her Standing There / Please Please Me / Twist and Shout / She Love's You / All My Loving / I Should Have Known Better / Can't Buy Me Love / I Feel Fine / Yesterday / Mr.Moonlight / I'll Follow The Sun / Eight Days A Week / You've Got To Hide Your Love Away / I've Just Seen A Face



 「ライブについて」 (2001/4/7 掲載)
引き続き、H.Sの場合

 先日、宇多田ひかるの特番をNHKでやっていた。初のライブツアーを中心にニューヨークでの生活やニューアルバムの制作過程を織り交ぜながらのものだった。宇多田ひかるのデビューは一昨年だったであろうか。今までにない歌声と日本人としては当時珍しいR&Bというジャンルの新鮮さもあいまって、爆発的なヒットをとばしたのだが、本当にショッキングというか何とも言えないような感動を覚えた。ミーハーと言えばミーハーなのだが、とにかく、その才能に驚愕したとでも言おうか。「天才だ!」の一言だった。

 実は、ライブも見に行きたかったのだが、チケットが取れなかった。電話予約というのを初めて体験したのだが、こんなに繋がらないものだとは思わなかった。午前10時に合わせて、「せいの」でかけたのだが、すでにつながらない。2時間ほど粘ったのだが、全然駄目だった。ということで、この特番を期待していた。(と言いながら、その晩は先輩と飲みに行っていたので、ビデオに予約しておいたのだが、Gコード予約で簡単だと思っていたが、帰って見てみたら、いきなりサタデースポーツが録画してあった。いったい何なんだと思ったら、どうも広島の方で地震があって、そのため番組の時間がずれていたのだった。結局、番組の半分も録画されていなかったのだが…。)まあ、宇多田ひかるについてはそのうちまた、書く機会があるだろう。

 それで、その特番の中で、久保純子アナが結構間抜けな質問をしていたのだが、その中で、「ライブビデオを見ると本当楽しそうですね。実際、はじめてのライブということで楽しくて仕方なかったのですか?」みたいな質問をしていた。宇多田ひかるは実に的確に答えていた。「やっているときは、もう必死でした。」と。そして「しばらくしたら、なんかうずうずしてきて、また、ライブやりたいなって感じになってきた」と。

 自分たちのライブを振り返ってみるとどうだろか。ライブを始めてから10年くらいたつ。最初の頃よりは大分落ち着いて演奏できるようになってきたが、今でもライブの直前は緊張するものだ。聴衆を前にして、1発目の音を出す前の緊張感はまるでバンジージャンプに挑むときのような感覚だ。(バンジーなんて挑戦したことも無いのだが)演奏中はそれこそ無我夢中だ。演奏が終わって、「よしゃあ、今日はばっちりだった」なんていうことはまずない。「あそこミスった」「声がでなかった」なんて落ち込むことの方が多い。ライブは年に平均すると4回くらい。練習にしたってメンバーがばらばらなためにライブの前にやる程度。こんな状態だから、確かに不安を抱えたままライブに臨むわけで、上記のような結果になるのは目に見えている。しかしながら、しばらくすると、また、ライブをやりたくなるのである。まあ、宇多田ひかると比べるのもなんだけど、似てるかななんて思ったりして。

 ただ、演奏するだけなら、スタジオで合わせるだけでいいはずだし、その方が上手く演奏できるし、言うこと無いはずなんだけど、やっぱりそれじゃあ、物足りないんだよね。何故なのかを考えて見ると、音楽っていうのはやっぱり表現活動なんだと思う。何かを表現するといことは、そこに他者へのベクトルが存在しているわけだ。それが、向かうべき対象を模索するわけで、必然的に聴衆を前に演奏することに向かわせるのだと思う。理屈で言うとそんな感じかな。特に、マイクに向かうとその傾向が強まるよね。車の中でテープに合わせて歌うのは一人でいいけど、カラオケで1人でマイクを持って歌うのはちょっと寂しいもんね。そんな感じではないか。

 というわけで、我々は年に数回のライブをやっているわけだけど、これが、毎日演奏することになれば事は違ってくる。つまり、仕事ってことだ。これはもう表現活動ではなくなってくるだろう。プロのミュージシャンにはこの葛藤があるのだと思う。

 ビートルズが最後のライブを行ったのは、1966年8月29日。サンフランシスコのキャンドルスティック・パーク。その頃のビートルズは、すでにライブのためのリハーサルを行わなかったらしい。新たなアルバム「リボルバー」からの選曲は無理であったし、結局4人で再現できる曲は昔のヒットナンバーで、聴衆もそれを望んでいるといった状況で、彼らはライブにうんざりだったのだろう。

 ビートルズがコンサートのステージに立つことはその後永久になかったわけだが、唯一、彼らが聴衆を前に演奏したあのアップル屋上のゲット・バックセッション。そのときの4人の表情が、以前のライブとの違いを鮮明に表している。ゲット・バックセッションでは、彼らは実に生き生きと楽しそうに演奏している。(ジョージはイマイチかな?)バンドとしての状態は最悪であったにもかかわらず、「そのとき」は本当楽しそうに見える。それはやはり自分が「これだ」というものを表現しているからなのだろう。

 映画「レット・イット・ビー」で、ポールがジョンにライブツアーを行うべきだと説得しているシーンがあるが、彼らの演奏を見ていると、ライブに出ていれば「もしかして…」などと思ってしまう。(ライブに出たとしてもうまくはいかなかったのだろうけど。そういえば、昔読んだ本、名前は忘れたが、ビートルズが再結成して、アルバムを出してライブに出ると言うくだりがあって、結局、アルバムは多数返品され、ライブもさんざん。それで、観衆が帰ろうとするとき、昔のヒットナンバーを演奏すると客が振り返って、乗り出す。というやつがあった。もちろん空想の世界ってやつだけど)

 ビートルズは多くの素晴らしい曲を我々に残してくれた。BACK INSECTSはまだ、100曲以上挑戦すべき楽曲がある。その意味で、我々もまだまだ、表現すべきモチーフの存在があるかぎり、ライブを重ねていくのだろう。

 凝りもせずにね。


 「オールディズとBEATLES」 (2001/5/20 掲載)
引き続き、H.Sの場合

 先日、OSミュージックの斎藤さんのお誘いで、昨年亡き妻に捧げるオリジナルCDを出したNOBUこと小林さんのライブに行ってきた。NOBUさんは以前ロンドンカフェというビートルズのコピーバンドでベースを担当して、ポールのナンバーを歌っていて、何度かライブをご一緒したことが有る。40代後半でありながら、その高音域のボーカルは素晴らしい。今回は、CD発売に伴い、仙台の141スタジオパークでのライブであった。出演バンドは、NOBUバンドとメモリーズというオールディズのバンドの2つであった。メモリーズさんとも1どご一緒したことがあったが、ばりばりのオールディズバンドである。まず、メモリーズさんがVACATIONやロコモーション、青い影など、オールディズの名曲をかましてくれた。聞いていて心地よい、まさにダンスミュージック。そして、NOBUバンドの登場だ。オープニングはオリジナルCDからの曲。美しいメロディーラインとアコースティックなサウンドで優しくNOBUさんが歌い上げる。そして、2曲目はジェット。3曲目はGot To Get You Into My Lifeと怒涛のポールアンドビートルズサウンズ。死ぬのは奴等だ、My Love、もう、聞いているだけでわくわくというナンバーばかり。久々に満喫したライブだった。(コーラスが入っていると更に良かったのだが…)

 しかし、ビートルズバンドが、時に、オールディズのライブの企画に出たり、オールディズのバンドがビートルズを演奏したりすることは結構あるが、そのたびに、違和感を覚えてしまう。もちろん、時代的にはビートルズは40年も前のバンドである。しかし、どうしてもビートルズはオールディズの枠に入ってこないのである。楽曲として全く異質なのである。それは、どういうことかといえば、つまり、ビートルズの曲はオールディズよりむしろ現在の音楽により近いのである。もし、何も知らずに若者がビートルズの曲を聞いたとして、「これは最近出たグループだよ」と言われれば、何の疑いも持たずに信じてしまうのではないだろうか?現実に中高生といった、若いファン層が増えつづけているということである。結成から40年、解散から30年を経たグループでこんな現象が起こっているバンドは他に無い。よく、「ビートルズはリアルタイムで聞いていない」というコメントを聞く。しかし、それはちょっと違うのだろうと思う。ビートルズの音楽は常にリアルタイムなのである。そうでなかったら、これほど世代を超えてその音楽が浸透していくだろうか。それも、同時代の世代間ではなくて、時代の流れを経た世代間でのものであるということを考えると、ビートルズの音楽の根底にあるものの力の凄さにただただ、驚嘆するばかりである。

 NOBUさんの歌声を聞きながら、「今度はあの曲もやりたいなあ」などどと思いつつ、幸せな気持ちで家路についたのである。


 「ジミヘン・ジャニス・ビートルズ」 (2001/8/12 掲載)
引き続き、H.Sの場合

 渋谷陽一編の雑誌「SIGHT」で、1970年、ジミヘンとジャニスが死んだ年という特集を組んでいた。ポール・サイモンのインタビューから始まり、70年当時のジミヘンとジャニスの追悼レポート、そして、前年のジョンレノンのインタビューが掲載されていた。

 1970年はポピュラー音楽界においては大きな転換点であったに違いない。もちろん、それは歴史的認識を現在から過去に対して行っているわけだから、当時のインタビュー記事はそれを意識したものではない。実際、ジョンは自分自身、「2ヶ月ぐらい前からみんなが聞き始めるまで、60年代っていう観点から考えたこともなかったんだぜ。今でもそういう観点からは何も考えていないしさ。」と答えている。まあ、「20世紀から21世紀になる」と騒いでいたけど、だからどうしたと言う感じと同じなのかもしれない。ミスチル風に言えば「そもそもキリスト教に僕は何の信仰もない」といったところか…。

 しかし、やはり歴史というものは不思議なもので、全く関係の無いこと(ヨーロッパ的な因果律では説明できないような)と思われていることが一体となって捉えられることがあるものだ。東洋的な考えでいう「布置」というやつだ。ユングなんかも言っているが「コンステレーション」といって、ぼんやりと全体を見ていると、そこに意味が見えてくることがある。まあ、これを解釈などと言う言葉で説明してしまうと薄っぺらなものになってしまうのだが、確かに一つの流れが見えてくる。その意味で、1970年と言う年は大きな年であることに違いがない。


 ちょっと横道にそれてしまったが、そのインタビューの記事の中で、ビル・グラハムがジャニスやジミヘンを評している部分が在る。

「あるスタイルを作り出した人、自分を確立した人を誰かと比較したりできないよ。ヘンドリックスはギターのイノベーターでジャニスはあるスタイルのイノベーターだった…ヘンドリックスの演奏を試みた人はほとんどいないよね。だって無理なことだから。ジャニスもまあ、そういうもんだったんだ。偉大な、創造的でオリジナルな才能というのは、ほとんど真似ることが不可能という点があってこそ言えるんだ」

 確かに、ジミヘンやジャニスのコピーをあまり聞いたことがない。それに対して、ビートルズのコピーバンドの数は天文学的数字になるのではないか(言い過ぎかな)つまりは、ビートルズは「偉大な、創造的でオリジナルな才能」を持ったグループではないということか?ううむ。どうも難しい。もちろん、活動期間や発表された楽曲数の違いもあるし、単純には比較できないのだが…。

 ジャニスのビデオがあったので、借りてきた。レコードでは聞いていたが、映像と共にそのパフォーマンスを見ると、恐ろしく衝撃的だった。ジャニスとジミヘンは67年のモンタレーポップフェスティバルでアルバムも出していなかったにも関わらず、大絶賛をされたわけだが、やはり、そのパフォーマンスは音だけではない(もちろん音だけでもだが)表現力がそこにある。それはまさにジミヘンやジャニスだからこそ表現しうる「パフォーマンス」なのだ。だから、例え、まったく同じように演奏しても、それは決してジャニスにはなれないし、ジミヘンではたり得ないのである。まあ、とにかく、ジャニスにしてもジミヘンにしても唯一無二の存在なのだと痛感させられる。そして、その分、彼らを聞くには相当のパワーが必要だし、あるいは痛みさえも感じてしまう。彼らは本当に素晴らしい表現力を持っていると同時に、あまりにも繊細なのである。

 こう考えて行くと、この二人に共通するのが、ジョンレノンなのかもしれない。特に彼がソロになってからの楽曲は、まさに、彼にしか表現できないものであったし、それを聞くと、やはり、時に痛みを感じる。3人とも悲劇的な最後を遂げているためなのかもしれないが、表現者からの真っ直ぐな刃が突き刺さってくるような感覚がある。財津和夫が言っていたが「ジョンの曲は歌えない。何故なら、ジョンの曲をジョン以外の人が歌ったら聞いている方が納得しないから」と。


 それでは、ビートルズは何故、誰もが演奏したがるのか?「技術的に簡単だから」?そうとは言えないのではないか。確かに、どんなに完璧に演奏したとしてもビートルズではない。しかし、誰が演奏したものでもビートルズの曲を聞くとわくわくしてしまう。いったい何なんだろうか?まさに、マジックにかかっているようである。

 一つの答えとして考えられることは、ビートルズはパフォーマーとしての道を歩まなかったということだ。彼らはやはり、「音」にこだわった。ライブとしての音ではなく、楽曲としてのクオリティーにこだわった。だからこそ、仮にそれが、ビートルズを離れて一人歩きしても、その素晴らしさは一歩も揺らぐことが無かったのだ。

 そう、ビートルズの曲は、多くのミュージシャンにカバーされている。それが、メタルであろうとジャズであろうとはたまたクラシックであろうとその素晴らしさが低くなることはないのである。それがビートルズの音楽の素晴らしさなのだと思う。そして、その素晴らしさを産み出したのが「レノン・マッカートニー」というコンビである。内側から湧き上がるエッセンスを万人が理解することができる形として表現すると言う恐らくは最も難しいことを彼らは200曲以上の楽曲という形でいとも簡単に(ポールは最近のインタビューで「僕とジョンで曲を書くのに行き詰まったのは1曲だけだ」と言っている。ちなみに、それはDrive My Car だそうだ)行って見せたのである。


 まあ、これだけの人たちを比較するということの無意味さは十分分かっているつもりだし、ジミヘンやジャニスは本当に凄いのだが、彼らも含めて、「60年代」?(やはり言ってしまうが)はとんでもない時代だったということを改めて感じてしまった。

 でも、サージェント・ペパーが出た2日後にジミヘンがライブでしかもオープニングでそのサージェント・ペパーをやったということ。そして、それをポールが見に行っていて、凄く嬉しかったという事実。

 ジミヘンもビートルズを意識していて、ビートルズもジミヘンが好きだったという、そんなことが実際にあったということだけで、身震いしてしまいます。


 「ビートルズのルーツ」 (2002/10/13 掲載)
引き続き、H.Sの場合

 11月にポールが日本にやってくる。これで3度目の日本公演になるが、還暦を迎えたポールだから、生で見れるのはこれが最後になるかもしれない。そう思うと、14000円というチケット代はやや気になるが、とにもかくにもという思いで手に入れてしまった。「37曲もやるらしい」「ビートルズ時代の曲も20曲を超えている」など、いろいろな情報が入ってくるが、やはり楽しみだ。

 ところで、私はビートルズが大好きなので、時々、コピーバンドのライブにも行くし、もちろん、自分たちでもやっているわけだが、前々から気になっていることがある。それは、ビートルズのコピーバンドは初期をメインにしたバンドがかなり多いことだ。それでもって、BBCあたりが出たころからであろうか、特にビートルズのデビュー前の所謂、通な選曲のバンドが出てきた。そして、「ビートルズのルーツはこういったロックンロールだ」という。果たしてそうだろうか?


 いろいろなミュージシャンの曲を聴くと、時々そのミュージシャンのリスペクトミュージシャンが何となく感じられることがある。

 先日、トレンディードラマの主題歌を集めたCDがでた。その中でも、小林明子の「恋におちて」なんかは曲調、アレンジ全てがまさにカーペンターズだ。まあ、聴いてて心地よいので、良いのだが…。ちなみに彼女は2曲くらいであとは消えてしまったが。前にも書いたが、桑田圭祐の曲からはビートルズやストーンズ、ドアーズといった60年代の香りがするし、グレイは何となくBOWYを、KANはビリー・ジョエルを思い出させる。モーニング娘はあのおニャン子クラブを彷彿とさせる。


 それではビートルズはどうだろうか?

 カバー曲からすれば、チャックベリー、カールパーキンス、ラリーウィリアムス…、影響を受けたミュージシャンは数多くあるようだ。それをもって、ビートルズのルーツは明快なロックンロールであり、ラバーソウルやリボルバー以降のビートルズは嫌いだという人もいる。しかし、彼らのオリジナル曲を聴くと、果たしてそうだろうか、といつも考えてしまう。

 特にロックンロールと言えば、メンバーの中でもジョンが思い浮かぶが(実際彼は「ロックンロール」というそろアルバムまで出しているわけだが)彼のオリジナル曲で明快なロックンロールといったら何だろう。案外思い浮かばない。ポールなら「I Saw Hew Standing There」とか「I'm Down」とかぱっと思いつくのだが、ジョンの場合はカバー曲の印象が強い割りに、自ら生み出した曲は明快なロックンロールよりは、ブルースであったり、ポップスであったり、あるいはアバンギャルドな曲であったりする。

 もちろん、ジョンはロックンロールが大好きだったのだろうけど、(自分にとってロックンロールだけがリアルだった、と言っているし)しかし、彼の内側にあるものはちょっと違ったのではないかなと思う。まあ、リシペクトアーチストの存在すら彼の創造性の中に入りこめなかったと考えるとその凄さが改めて分かるのだが…。

 そう言う意味では、何をするにもビートルズの影響から抜けられない我々には想像も絶する才能と言うほかない。

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