Back Insects  ビートルズを訪ねて [T]

バックインセクツのメンバH・SとM・Aの二人が、ビートルズを訪ね、1991年の夏にイギリスの土を踏んだ時の物語です。とくと?お楽しみください。

(1)プロローグ〜初日[ロンドン] →(2)2日目前半[ロンドン]


 (1)プロローグ〜初日[ロンドン] (2004/3/14 掲載)
by H.S(→メンバー紹介

 プロローグ

 それは初めての海外旅行だった。そして、その目的はやはりビートルズだった。

             

 今、ビートルズのコピーバンドをやり、いろいろなところで演奏をし、また、演奏を見、そして新たに彼らを発見する。それがまた生活の刺激となっていろいろなことに興味を持たされる。彼らはまさに私の人生を大きく左右している。本当に困ったものだ。

 こんな生活を導いたきっかけはもちろん、彼らとの出会いであったのだが、それでも、高校時代まではあくまで聞き手であり、あくまで彼らの存在は私の外部にあるものだった。それが、高校時代にギターを弾きはじめ、大学でバンドを組み、自分なりに曲をを作ったりするようになった。少しずつ、はまって行く自分がそこにあった。そして、それが、決定的になったのが1990年のポールの初の来日コンサートだったような気がする。

 当時、私は中学校3年生の担任。ポールがやってきたのは3月。まさに受験シーズンの真っ只中だった。取れたチケットは金曜日。場所は東京。何とか金曜日は休めそうだったが、土曜日は私立校受験指導の最後の日だった。この日は休めない。前日、福島駅に車を置き、新幹線で東京へ。そして、コンサート終了後、上野から夜行列車に乗って、福島まで、そこから車で3時間、自宅についたのは土曜日の朝6時だった。赤い目をしながら出勤したのを憶えている。その時のポールの姿、歌声。もちろん2002年の3回目のライブに比べれば比較にならない出来だったが、初めて接する生のポールに感激した。イントロ無しでLet It Be が始まった時の震えは今でもまざまざと思い起こせる。

 その時、一緒にいた友人のM・Aと「今度はリバプールに行こう」と約束したのだ。何の計画もなく、ただ、漠然とした約束であったのだが、1年半後それが実現することになる。あれはやはりポールの圧倒的な存在感が我々を勇気付けてくれたのだろう。「こんばんは!日本!」決してそれはLegendではなく、そこに存在しているのである。そして、我々と同じ生身の人間ポールなのであった。


 イギリスへ  

 1991年8月11日、成田からキャセイ・パシフィック航空のジャンボで出発したのは夜の10:30。香港で乗り換える。香港時間は11:00。まるで宝石箱の中に降りて行くような夜景は素晴らしかった。M・Aと顔を見合わせて、「隣りに女の子が座っていたら最高だよな」と言って頷いたのを思い出す。そう言えば、M・Aは数年後、新婚旅行で香港を訪れた。きっとこの時の夜景が彼をそうさせたのだろう。香港からロンドンまでは20時間。初めての長時間の空の旅。これほど大変なものだとは思わなかった。乗ったのはもちろんエコノミー。横になることも出来ず、ひたすら20時間。ちなみに乗り物に弱い私は本を読むことも出来ない。腰は痛くなるし、足は痺れるし、エコノミー症候群という言葉をまさに実感した。(高原がワールドカップに出られなかったのも確か長時間の空の旅のせいだったな。でも彼はエコノミーではなかったようだけど…)

 当時はまだ、飛行機内全面禁煙にはなっておらず、M・Aがタバコを吸うこともあり、喫煙席。M・Aが徐に煙草を吸い始めると私の隣りのスーパーマリオみたいな顔をした中東系のおじさんがわめき始めた。スチュアーデス(今は客室乗務員と呼ばなくてはならないらしい)を呼んでクレームをつけている。明らかにM・Aの煙草のことだ。「やばいんじゃあないか?」と私が言うと「ここは喫煙席だ。別にかまわないよ」とM・Aはいたって平然としている。まったく大した度胸だ。(海外に行く時はこれくらい堂々としていないとダメだと後で気付いた。M・Aは2度目の海外だったからその辺を心得ていたのだろう)スーパーマリオは航空券を取り出してなおも食い下がっていたが、隣りの奥様のとりなしで何とかおさまったようだ。周りをそれとなく見まわすと、香港を経由したため、周囲にいる日本人はほとんどいない。こんな状況だと少し卑屈になってしまうのは島国でほぼ単一的な人種の国で生まれ育ったせいなのだろう。

 何度目かの食事(5回は食ってる)が終わったあとようやくイギリスに入国する準備に入る。まず、入国に必要な書類に記入する。M・Aに教えられながら無事書き終えると窓の外にはヨーロッパ大陸が広がっている。飛行機はイギリスヒースロー空港へ着陸体制に入った。


 入国

 飛行機が着陸すると入国審査、税関でチェックを受ける。

 M・Aは「とにかく、何か聞かれたらSightseeing Sir. と言えば良いから」と私に言った。順番に出口に向かう。ところが、ここでチェックを受ける場所が複数あり、一人一人そこに通されるため、M・Aと一緒というわけにはいかない。ただでさえ初めての海外。緊張が高まる。先にM・Aが行く。次に私が呼ばれた。係官が何か私に尋ねる。もちろん英語だ。頭の中はすっかり真っ白。怪訝そうに係官が質問を繰り返す。「あれ?何て言うんだっけ?」「Sightseeing」という言葉が思い浮かばない。

 仕方なく「Yes」と答えてしまった。するとどこからか3人の職員が出てきて、私を横に連れて行く。そしてボディーチェックを始めたのだ。「まさか刑務所行き?」呆然とする私に聞こえたのが「おい」という日本語だった。手続きを終えたM・Aが係官に説明してくれたのだ。全く、M・Aは命の恩人だ。彼がいなければ今ごろイギリスの塀の中だったかもしれない。強制連行の直前に救われた我々は、列車に乗ってロンドンの街に繰り出した。


 ロンドンの街並み

  

 駅の構内を出るとそこはまさに別世界。イギリスの象徴であるビッグ・ベンが聳え立ち、国会議事堂であるその奥にはウエストミンスター寺院がある。ロマネスク調?の建物の存在感に圧倒される。そして、そういう有名なものだけでなく、周りにある多くの建物が歴史を感じさせる造りなのだ。その風景を見るだけでも感動させられる。「カッコ、カッコ」という音に振りかえるとそれは蹄の音だった。馬に乗った警察官がパトロールしているのである。もちろん、近代的な建物もあり、車も所狭しと走ってはいるのだが、それを差し引いても落ち着き払った街の威厳が迫ってくる。これが、石の文化なのだろう。逆に欧米人が日本の京都や奈良を見たときに感じることなのかもしれない。

        

 次に向かった先はバッキンガム宮殿。丁度、衛士の交代の時間帯。周りは人だかりだ。衛士たちが赤い民族衣装に身を包み。馬に乗った先導について音楽に合わせて宮殿に入っていく。このシーンをビデオに撮って、生徒たちに見せたい。しかし、人だかり。しかも外国人ときている。背が高い。私の身長ではとても写せない。そこでM・Aを肩車して、ビデオを撮ることにした。M・Aは小柄なのだが、それでも大人を肩車するというのはきつい。「大丈夫か?」「頑張れ」「おう苦しい」「これも生徒のためだ」そんな声が馬が糞をするシーンと一緒に撮れているのは何とも言えないものだ。


 トイレがない

 さて、初日のメインイベントはイギリス王室の有名なウインザー城のオプショナルツアーだった。バッキンガム宮殿から再び列車で移動し、バスの待ち合わせの場所へ行く。ところがこれがとんだアクシデントに遭ってしまう。私は相当トイレが近い。小も大もだ。汚い話だが、結構腹が弱いのだ。周りには「心臓に毛が生えている」などと言われることもあるが、本当は繊細で気が弱いのである。

 駅で電車を降り、待ち合わせ場所に向かっている途中、急にもよおしてきた。トイレを探す。日本であれば、大抵のビルや店に自由に出入りできるトイレがある。しかし、ロンドンの街ではなかなか見つからない。百貨店らしきビルに入ってみるがない。そこで「駅ならあるだろう」ということでひき返してみた。目論見通り、トイレがあった。ところが、これが有料なのだ。一列に並んで順番を待って入る。丁度空港の屋上にあがるときに通るお金を入れると三本の金属の棒が回って入ることのできるやつだ。入場料は20ペンス。日本円で約40円だ。全く辟易してしまう。

 それでも無事用を済ませ、再び、待ち合わせ場所に急ぐ。2分ほど遅刻。しかし、まだ、誰も来ていないようだ。「間に合ったな」二人で「ほっと」息をついた。ところがそれから10分しても誰も来ない。バスも来ない。「外国は時間にルーズなんだな」などと言いつつ、また10分、そしてまた10分。誰も来ない。バスも来ない。そこで気付いた。時間にルーズなのではなく、完璧に時間が守られているのだということを。そう、どう考えてもバスは既に出発したのだ。二人は呆然と30分そこで過ごしたあと、力なく今日泊まるホテルへ移動をはじめたのである。


 ホテル

 これまた、歴史を感じさせるホテルだった。外観もそうだが、部屋もかなり古い。もちろん最低の金額での旅行だから、文句は言えない。

 M・Aが言うには「今日のホテルが一番高いところだからな」とのこと。先が思いやられる。M・Aはさっそくテレビをつけ、現地のF1レースを見て感動している。私は例によってあの、居心地の悪い洋式風呂でシャワーだけ浴びた。日本人としてはゆっくりと湯船につかりたいところだが、お湯がこぼれたら水浸しになってしまうようなところでそれをやるのはきつい。日本のホテルでもたまにやるのだが、お湯が足りなくて、肩を出したり、足を出したり窮屈に身体を動かしながら結局は全然身体が暖まらないのだ。まあ、夏だから良いけど、それでもイギリスの夏は日本のそれよりは大分涼しい。

 風呂から上がると、「夕飯を食べに行こう」ということになった。道にも不案内だし、とりあえずホテルのレストランで食べることにした。レストランに入ると客は我々二人だけだった。インド系のメイドがメニューを持ってやってきた。二人で覗き込むがすべて英語(当たり前だよな)、何が何だか分からない。そうこしているうちに、メイドが我々を遠巻きに見て笑っている。そして、近づいてきて「チッキンカレー?」と独特のイントネーション(正式なイントネーションも分からないけど…)で言った。「チキンカレーだ」二人は救われたように頷いて、「Yes、Please」と頼んだ。それにしてもとても感じの良いメイドとは言えなかった。

 5分もするとその「チッキンカレー」がやってきた。「いただきます」一口食べて顔を見合わせた。「まずい」「食えたもんじゃあないな」こんな時は外国は良い。日本語で喋れば分からないもんな。ルーは甘ったるいし、米は例のインディカ米であの細長くてパサパサしたやつだ。以前「インディカ米はカレーやピラフには合う」なんて聞いたことがあるが、そんなの嘘だ。これほどのカレーには日本ではなかなかお目にかかれないだろう。「そういえば、イギリス人はまずいものでも食べることが出来たから世界各地に植民地を作ることができたって聞いたことあるよな」と話ながら妙に実感できた瞬間だった。「出されたものは残さずに食べるものだ」と教えられてきたことがこの時ほど恨めしく思ったことは無い。目の前の皿は空になったが、向の皿は4分の3は残っていた。


(1)プロローグ〜初日[ロンドン] →(2)2日目前半[ロンドン]

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