イギリスへ
1991年8月11日、成田からキャセイ・パシフィック航空のジャンボで出発したのは夜の10:30。香港で乗り換える。香港時間は11:00。まるで宝石箱の中に降りて行くような夜景は素晴らしかった。M・Aと顔を見合わせて、「隣りに女の子が座っていたら最高だよな」と言って頷いたのを思い出す。そう言えば、M・Aは数年後、新婚旅行で香港を訪れた。きっとこの時の夜景が彼をそうさせたのだろう。香港からロンドンまでは20時間。初めての長時間の空の旅。これほど大変なものだとは思わなかった。乗ったのはもちろんエコノミー。横になることも出来ず、ひたすら20時間。ちなみに乗り物に弱い私は本を読むことも出来ない。腰は痛くなるし、足は痺れるし、エコノミー症候群という言葉をまさに実感した。(高原がワールドカップに出られなかったのも確か長時間の空の旅のせいだったな。でも彼はエコノミーではなかったようだけど…)
当時はまだ、飛行機内全面禁煙にはなっておらず、M・Aがタバコを吸うこともあり、喫煙席。M・Aが徐に煙草を吸い始めると私の隣りのスーパーマリオみたいな顔をした中東系のおじさんがわめき始めた。スチュアーデス(今は客室乗務員と呼ばなくてはならないらしい)を呼んでクレームをつけている。明らかにM・Aの煙草のことだ。「やばいんじゃあないか?」と私が言うと「ここは喫煙席だ。別にかまわないよ」とM・Aはいたって平然としている。まったく大した度胸だ。(海外に行く時はこれくらい堂々としていないとダメだと後で気付いた。M・Aは2度目の海外だったからその辺を心得ていたのだろう)スーパーマリオは航空券を取り出してなおも食い下がっていたが、隣りの奥様のとりなしで何とかおさまったようだ。周りをそれとなく見まわすと、香港を経由したため、周囲にいる日本人はほとんどいない。こんな状況だと少し卑屈になってしまうのは島国でほぼ単一的な人種の国で生まれ育ったせいなのだろう。
何度目かの食事(5回は食ってる)が終わったあとようやくイギリスに入国する準備に入る。まず、入国に必要な書類に記入する。M・Aに教えられながら無事書き終えると窓の外にはヨーロッパ大陸が広がっている。飛行機はイギリスヒースロー空港へ着陸体制に入った。