Back Insects  ビートルズを訪ねて [T]

バックインセクツのメンバH・SとM・Aの二人が、ビートルズを訪ね、1991年の夏にイギリスの土を踏んだ時の物語です。とくと?お楽しみください。

(1)プロローグ〜初日[ロンドン]← (2)2日目前半[ロンドン] →(3)2日目後半[ロンドン]


 (2)2日目前半[ロンドン] (2004/3/22 掲載)
by H.S(→メンバー紹介

 太っ腹

           

 旅行2日目。朝からまず出かけたのは、大英博物館。イギリスの掠奪の歴史などと批判されることもあるが、全世界から集められた資料の数々は本当に凄い。エジプト、ギリシャ、ローマから中国、日本に至るまで、世界中のあらゆる歴史がそこにあった。社会科教員の私にとってはそこはまさにドラえもんのポケットのような世界だ。

 さらに驚くのは、入場料がタダということ。無料なのである。上野にある国立博物館なんか数千円もかかるため、修学旅行の研修場所としては避けられる。それと比べると何と太っ腹なことか。しかもビデオ、写真撮影がOKなのだ。こんな博物館はなかなかない。過去の歴史への反省と懺悔のためなのか。とにかく凄い。帰ってからの資料にと写真、ビデオのとりまくり状態だった。時間が許すならば1週間あっても飽きない場所である。

 さらに嬉しいことに、トイレもタダ、というところ。さっそく私の排泄物を置き土産にしてしまった。(下品な話題で申し訳無い)


 世界一有名な横断鋪道  

       

 大英博物館を出ると、いよいよあの世界一有名な横断鋪道ヘ向かう。そう、アビーロードだ。ビートルズのアルバムの中で最大のセールスを記録したというあのアルバム。ビートルズとの出会いのところでも書いたが、私のフェイバリットである。(あまりに有名過ぎてこう書くのも恥ずかしいが、やはり好きなものはすきなのだ)

 そう言えば、我々がグループを結成して初めて作ったオリジナルアルバムのジャケットはアビーロードをパロッたものだった。近所の車通りのほとんど無い横断鋪道でメンバーが歩くところを写真におさめた。もちろん道路の左端、向こう側に私の愛車を止めておいた。(当時乗っていたホンダの軽自動車)何から何まで憧れていたあのアビーロード。

 徒歩でどれくらいかかったであろうか?結構、歩いた。そしてついにそこにたどり着いたのである。

  

 工事中なのだろうか?鋪道の横に三角の白線が引いてある。そして、EMIのスタジオの壁には無数の落書きだ。

      

 世界各地からやってきたビートルズファンのものだが、日本人のもの数多くある。私はボールペンを取り出すと、その壁に向かって私が存在したことの証を描き始めた。

 M・Aはビデオをまわす。「さて、彼は何とサインするのでしょうか?何々?H・S上陸?おっと、自分の似顔絵入りだ!」そう。私の描いたサインが今、そこにあるのだった。と、すると地元のご婦人が通りすぎる時に私に声をかけた。もちろん英語。彼女は道端に落ちている空き缶を指差して何か言ったのだ。どうやら「ゴミを散らかすな」ということらしい。「No!」と答えたのだが、婦人は行ってしまった。恐らく、多数訪れるビートルズファンがうっとしいのだろう。いや、ファンのマナーが悪いのかもしれない。

        

 サインのあとやることはやはり決まっている。彼らが歩いた横断鋪道を彼らと同じように歩くこと。ジョンが好きな私はポケットに手を突っ込み、やや猫背になりながら。そして、ポールが好きなM・Aは裸足になり、煙草を手に持ちながら。それにしてもロンドンの運転手のマナーは良い。流石に紳士の国だ。横断待ちをしていると必ず止まってくれる。(ただ、これは写真を撮るのには適しない。そして、止まられたら渡らないわけにはいかない。そんなことを何度も繰り返してしまうという悪循環)

 それにしても、タイミングよく大股で闊歩する写真を撮るのは容易ではない。一人でも難しいのだから、4人であのジャケットを撮影するのも大変だったろうななどと考えた。(失敗した写真が載っている本を見たことはあるが…)ここで、あの素晴らしい曲がレコーディングされたのかと思うと、胸の高鳴りを押さえきれなかった。M・Aは例のごとくゴールデン・スランバーを口ずさむのであった。


 ハイドパークの罠

 二日目の日程は過密だ。

 ロンドンの街の真中にハイドパークがある。ニューヨークのセントラルパークと並んで世界的に名の知られた都市公園である。東京ドームを数個分にもなる広大な敷地の中に芝生や池、木立がある。よく晴れた日だった。

 芝生のある区域には日光浴用の安楽椅子が多数置いてあった。「これは良いよな」と二人で横たわっていると一人のイギリス人が近寄ってきた。どうやらそこに座るのは使用料を払わなくてはならないらしい。なるほど、こんな陽気の日にその椅子に座っている人が誰もいないわけだ。見知らぬ土地で歩き回り、さらに時差を感じつつ一休みをすることも許されず、我々はその場を追い出された。

 公園内の湖畔に小奇麗なレストランがあった。「昼飯を食うおうぜ」。朝からひたすら歩き続けている。昼食休憩を取ることにした。

 店に通されるとまず、始めに聞かれるのは「Drink?」だ。そう、日本のように水が出されることはない。産業革命以来の環境破壊で、水が汚染され、飲料水として自由に飲めないのだ。水は買うもの、だから必ずお店では最初に飲み物を注文する。

 オレンジジュースを頼み、渡されたメニューを見る。またまた全然分からない。仕方なく、値段で選ぶことにした。メニューを指差し「This One」 と言う。いったい何が出てくるんだろう。出てきたものはソーセージの盛り合わせとサラダだった。「まあ、食えるものだな」と二人で目を合わせながら、安心して食事をとることもできないということが大変なことだなと感じた。


 ロンドンに残された痕跡

 ハイド・パークに横付けされた車のタイヤには黄色いチェーンのようなものが巻きついている。駐車違反の取締りだろうか?それを横目に見ながら次の目的地へ向かう。

       

 クラシックの殿堂ロイヤル・アルバート・ホールだ。1871年に完成したこのホールでビートルズが初めて演奏したのは1964年それから40年の月日が流れている。ボブ・ディランが初めてエレキ・ギター手に聴衆の前に立ち、クリームの解散コンサート、ディープ・パープルとロイヤル・フィルハーモニックとの共演、そしてジョージの追悼コンサートまで、荘厳な外観を誇るこのホールでやはりビートルズが果した役割は大きい。そんなことを思いながら数枚の写真を写した。

 さて、次はサビル・ロウのアップル・ビルだ。1969年1月30日、ビートルズが人前で演奏した最後の場所。アップル・ルーフ・トップ・ライブがア行われたビルだ。

       

 地図を頼りに、探しまわったのだが、なかかな見つからない。同じような外観の建物が多いためだろうか?何度も通りを行き来したが、分からず、通行中の人に聞いて見ることにした。

 ジャンケンをして順番を決める。最初にM・Aがサラリーマン風の男性に声をかける。しかし、要領を得ない。次に私が声をかけける。「Please Tell Me The Way To The Apple Building!」そんなことを何度か繰り返した。

 そして、そんな我々を見た女性が声をかけてきた。「Beatles?」こんな日本人をよく見かけるのだろう。「Yes!」と答えると彼女は指差しながら「Here」と言った。そう。まさに我々が立っていた目の前のビルだった。間違い無く、そのアップル・ビルだ。「Thank You, Very Much」と言うと微笑みながら「Welcome」と言って彼女は去って行った。我々はそのビルに再び視線を向ける。

 このドア、間違いない、映画「Let It Be」で彼らが出入りしていたものだ。そう、ルーフ・トップ・ライブが始まった時、細長い帽子を被った警察官が叩いたドアだ。「屋上に行けないかな?」我々は恐る恐るドアを開ける。中には受付があり、女性が座っている。彼女は我々を見ると何も言わず首を横に振った。そして、我々もおずおずと頭を下げ、ドアを閉めた。全く気弱な一般市民の呈をなす、自分たちに情けない思いだったが、それでも彼らが開いた同じドアをこの手で開いたという何とも言えない感慨があった。(アイドルと握手をして、喜んでいる状態を1歩超えている状況だけど…)

 下から見上げるように写真を撮った。まるで屋上から聞こえてきた音楽に驚き上を見上げていた当時の通行人と同じように。


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