Back Insects  ビートルズを訪ねて [T]

バックインセクツのメンバH・SとM・Aの二人が、ビートルズを訪ね、1992年の夏にイギリスの土を踏んだ時の物語です。とくと?お楽しみください。

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 (6)5日目〜最終日[リバプール]〜エピローグ (2004/5/2 掲載)
by H.S(→メンバー紹介

 ウインブルドン

 リバプール2泊後、インターシティーでロンドンに戻る。最後の目的地はテニスの殿堂、ウインブルドンだ。

      

 我々はスポーツが大好きだ。お互い、評論家(あくまで傍観者としてと言うところが情けないが…)としては相当なものだ。話している内容の80%はスポーツ関係、残り20%がビートルズ(100%シモネタじゃあない?)と言ったところか。イギリスにきたら見に行かなくてはならないということでここを訪れた。

 コナーズ、レンドル、マッケンロー、エバート、ナブラチロハといったところが我々の時代のヒーロー、ヒロイン。彼らがプレーしたセンターコートは工事中だった。しかし、芝のコートはイギリスの貴族のスポーツであるテニスの象徴として十分高貴であった。

 そう言えば最近、エースを狙えの実写版をやっているが、おちょう婦人役がなかなかはまってたりする。

      


 ロンドン最後の夜  

 ロンドン最後の夜はディスコでフィーバーという予定だった。ディスコ・エンパイアーというロンドンでは有名なディスコに張り切って出かける。午後7時頃だった。ロンドンはまだ明るい時間帯。多少ドキドキしながら店に入ると何とここでも客は我々二人だけ。「おい、キャバーンと同じじゃあねえか」と顔を見合わせながら、飲み物を頼み、一息つく。

 「ここまできたら踊らないわけいかないよな」と曲に合わせて二人だけのフロアで踊る。まあ、ロンドン子が踊っているところでは気後れしてなかなか踊れなかったかもしれない。寂しさと情けなさを感じながらも気丈に踊るジャップ二人、店員にはどう映ったのだろう。

 翌日は帰国のため朝が早い。午後10時過ぎ、そろそろ帰らなければと言っていると、ぞろぞろと客が入り出した。我々が店を後にする頃には店は満員状態。夏のロンドンの夜の始まりはかなり遅いらしい。これも高緯度に位置するヨーロッパならではなのだろう。後ろ髪を引かれる思い出ホテルに向かった。


 帰国の途に

 翌日、早朝ホテルを出る。ドアを閉める。すると窓からお土産の傘が見える。「忘れた」そう思ったときは後の祭。安い宿のため出発の時はオートロックでもちろんフロントもない怪しいところ。二度とドアを開けることは出来ない。どうにかしようと思っても飛行機の時間を考えると間に合わない。泣く泣く大英博物館で買った傘を諦めなければならなかった。

 イギリスからキャセイ・パシフィックで日本へ向かう。ところが、何と給油のためバーレーンで1度降りる。当時は湾岸戦争の記憶も新しいころ、中東の空を飛ぶというのは妙に緊張感があった。ブルカを被った女性。アラビア語の表示。なかなか触れることの出来ない文化に思いもよらずちょっとだけ接触できたのも良かった。

 そして台北で乗り換え。これが悲惨なことに。飛行機をおり、空港のロビーでポケットに入れていた財布の無いことに気付いたのだ。すぐさまキャセイ・パシフィックのカウンターに行って事情を話すと「調べて見ますが、まず、絶対出てこないですね」とのこと。

 「落し物が届く」というのが日本の誇れる文化という話を聞いたことがある。財布が届くなどということは世界では奇跡に近いことなのだ。「やはり日本は凄い」ということをこんなことで思い知るなんてなんと間抜けなことか。

 日本にたどり着いた時は何と無一文という落ちのつく初めての海外旅行であった。


 エピローグ

 最後が悲惨な結果だっただけに複雑であったが、やはり多くの刺激を受けた経験だった。何せ、ビートルズのコピーバンドを本格的に始めたのもこの直後からだったし。妙に自信がついたというか、「やればできるんだな」というパワーを貰ったという感じだ。

 たかが1度の海外旅行でと言うかもしれないが、その後、いろいろなことに挑戦し今までできなかったことをいくつも経験することができるようになった。新しい経験は自分の殻をやぶって外の世界が見えてくるのと同時に自分の内側まで引き出して覗き見させてくれる。

 「今度はニューヨークだな」とM・Aと当てもない約束をしたが、また実現して行くのである。それはまた次回ということで。結局はすべてがプロローグなのかもしれない。


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