Back Insects  ビートルズを訪ねて [T]

バックインセクツのメンバH・SとM・Aの二人が、ビートルズを訪ね、1992年の夏にイギリスの土を踏んだ時の物語です。とくと?お楽しみください。

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 (4)3日目[リバプール] (2004/4/4 掲載)
by H.S(→メンバー紹介

 リバプールへ

 旅行三日目、いよいよリバプールに向かう。

           

 インターシティーに乗って、約3時間。あたりはのどかな田園風景。平地ではなく、緩やかに斜面が広がる牧草地に牛や馬が放たれ、とうもろこし畑やライ麦畑が広がる。サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」のような不思議な感覚を憶えつつ、実はほとんど寝ていたのであった。やはり強硬スケジュールのためであろう。

 M・Aも間抜けな写真を撮ってくれたものだ。冷房が効いていて、半袖のポロに腕を入れて口は半開きという無防備なポーズである。

    

 リバプールの駅。見ただけで由緒正しさに圧倒されてしまう。リバプールの駅前にやはりビートルズゆかりの地がさっそくあった。

        

 ビートルズがリバプールで最後に演奏した場所、エンパイアーシアター。

           

 その横にビートルズのライブを予告するようなポスターがある。当時はまだ気付かなかったが、あのブートレッグ・ビートルズの公演のポスターだったのである。(日本で何回か公演をやっていて、武道館で日本公演と全く同じリストで演奏した時、わざわざメンバーと見に行ったのを憶えている。今は亡きE・H・エリックさんが司会で出てきたのが笑えた)


 キャバーン・クラブ〜マシューストリート  

 われわれはさっそくマシューストリートにあるキャバーンクラブへ。

        

 本当に細い通りがマシューストリートである。よく気をつけていないと見逃してしまうような目立たない路地。人通りは少なく、破けたポスターが風で通りすぎて行くような閑散とした雰囲気。予想していたものとは違った。観光地、名所といった仰々しいものは全く無く、まるで路上に昔の喧騒を染み込ませて淡々と時を刻んできた歴史の空気さえ感じるのは何故なのか?飾らないで街の中に溶け込んでいる風景こそがその重みを残しているのだろう。

 そして、その中に閉鎖され、古びれたキャバーンの入り口があった。

         

 今は入ることができない、いかにも「潰れてしまったライブハウスの呈をなしている。よく見ると入り口の上に地味なモニュメントがあり、入り口の壁には「4人の若者が世界を震わせた〜」という銀盤の記念碑がある。そう、「良く見ると」気付くのである。ちょっと見た目にはまさに「寂びれた」ものであり、それがまた、妙なリアルさを持って迫ってくる。ビデオをまわす手が震える。この細い通りにあふれんばかりに人が並んだのである。そのモノクロ写真がそのままそこにある。

       

 路地を挟んだスタンリー・ストリートにエリナー・リグビーの像がある。ポールはこの曲を気に入っている。来日コンサートのたびにアコースティックでやっている。青銅の佇まいが美しい旋律と物悲しい歌詞とマッチしている。M・Aはやはりここでも「All The Lonely People〜」と口ずさんでいた。

 キャバーンのある場所からマシューストリートを挟んで向側にキャバーン・ワークスという建物がある。その地下に再現された新しいキャバーン・クラブがある。1999年にポールが凱旋公演をやったところだ。(そういえばバックが凄かったね。イアン・ペイスとかデイブ・ギルモアとか)階段を降りて行くと煉瓦造りのあのアーチ型のステージが見えた。誰もいない。店員すら見当たらない。(後日調べたら平日は夜のみの営業ということだった)

 M・Aと交互にステージに立って写真を撮ったりしながら、何となく違和感を覚えた。いかにも観光用に作られた安っぽさを感じるのだ。それまで、どこへ行っても街の中に溶け込んでいた景色がここだけ浮いて見える。とりあえず、夜にまた来ることにしてキャバーンを出た。

 再びマシューストリートに出て通りを歩くとビートルズショップの看板が目に入った。

       

 看板の上にある4人の似顔絵が何とも言えない。本人達がみたらさぞ赤面してしまうだろうと言う感じだ。日本ではまるで写真のような絵が多いが、外国では寧ろ「絵」らしく描くのであろうか?(関係ないかもしれないが、絵の修復をするのに、日本では全く分からないようにするらしいのだが、ヨーロッパではわざと修復した場所が分かるようにするらしい。どちらが現物を大切にしているのか?考え方が違うものだと思った)

 これも地下に降りて行く。見た感じは原宿のゲット・バックとさほど変わらない。これも後で聞いた話だが、レアものはストックしてあって、店長と交渉次第ということらしい。何事も事前に調べておくのが良いのかもしれない。無計画な我々が反省すべきところである。(と言っても反省は生かされないのだが…)


 ビートルズ・ストーリー

 本当に良く晴れた気持ちの良い日だった。港町リバプールを流れるマージー川。そう、あのマージー・ビートの名の由来となった川だ。穏やかに海にそそぐ川もは太陽の光に照らされ、きらきらと反射している。遠くに船が見える。その先の海を渡ることを4人も夢見ていたのだろうか?そんなとりとめもない思いを抱くには十分すぎるほどの静寂である。昔、見知らぬ世界は海の向こう側にあって、その海は永遠に広がっているものだと子供の頃考えていたものだ。

          

 この通り沿いには1990年にオープンしたビートルズ・ストーリーというビートルズの記念館がある。我々が行った1年前に建てられたものでとても新しいレンガ造りの建物だった。

       

 ここもやはり階段を降りて地下に入っていく。流石に何人かの観光客が訪れている。早速中に入る。ビートルズの曲が流れ、多くの写真や楽器でまさにビートルズ一色の空間であった。ジョン・ジョージ・ポール・リンゴのそれぞれの部屋があった。ジョンの部屋には真っ白なピアノが置かれ、イマジンが流されていた。そのピアノを前に、20分ほど動けずにいた。

 ビートルズ・ストーリーの近くに公園があった。ブランコに乗りながら夕方の日差しを浴びていると、地元の子供だろう、私を見て驚いたように「Oh! Peaceman」と言った。それほどジョンに似ていたのだろうか?(全然似てねえよ、とM・Aに即座に言われたが)結構、嬉しかった。


 リバプールの街

 街中に戻ると、夕飯を食べようということになった。時間は午後6時くらい。ところが、ほとんどの店が閉まっている。人通りもほとんどない。まさに閑散としている。開いている店を探し、それほど大きくない中華料理屋に入った。中華料理のメニューは英語と漢字で書いてあったので首尾良く注文することができた。

 食事を済ませると、ようやく辺りが暗くなり始めた。我々は再びマシューストリートのキャバーンを訪れた。階段を下って行く。店の扉を開けるが、またもや中には誰もいない。と店員らしい男がやってきた。席へ通される。やはり客は誰もいないようだ。昼間と違うのは小さくBGMが流れているくらいなものか。それもビートルズではない。とりあえず、水割りを頼んで様子を見ることにした。

 30分、1時間。誰も入ってこない。もちろんバンドの演奏もありそうにない。ガランとした空間に居心地の悪さを感じ、二人は早々に退散することにした。外を歩くものもなく、石畳の鋪道が夏だと言うのに寒々しく感じた。

           


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